梅原猛氏の「人類哲学」を読み、それを受けての自分の考えを整理し述べてみたい。
本書を手に取るきっかけとなったのは、実家に帰省中に偶然見ていたNHKのテレビ番組に梅原氏が出演していたことが原因である。
テレビを見ていて、この人の考え方は自分の考えていたものに類似すると感じ、ピンときたため、アマゾンで予約受付中だった本書を注文したのである。(実際に発売されたのは一年強後の先月であった。)
梅原猛氏については、そのテレビ番組で知り、その番組内で紹介された情報しかしらなかった。しかし「草木国土悉皆成仏」という思想に重点をおくことが、たぬきちの思想と全く一緒だったためピンときたのだろう。
前回の記事(本ページ下部にまとめてある)で、里山資本主義や風の谷のナウシカについて述べていたことにもつながるのであるが、
「全ての自然に意志があり、仏に成ることができる」
という日本的価値観に根ざした「草木国土悉皆成仏」という考え方が今後の人類にとって非常に重要であることは直感的にもわかっていただけるのではないだろうか。
たぬきちは哲学についてそんなに詳しいわけではなかったため、
本書を読んで、その考え方の変遷の要点を知ることができたともに、
今までの自分の考え方を発展させることができた。
以下に本書の内容を整理したい。
自然環境と哲学基盤との関係性
・自然が厳しい地域では、自然と対立し、厳しい自然から一つの神に頼るようになることから一神教の文化が形成される。
・豊かな自然に恵まれた地域では、自然と共存することを志向し、全てものに神が宿るとして多神教の文化が形成される。(日本)
太陽と哲学基盤との関係性
・農耕文明では太陽を崇拝することになり、その他、水や稲などを崇拝し、自然的価値観に基づいた哲学が成熟される(日本の天照大神、エジプトのラーの神)
・遊牧する放浪文明や海洋文明では星空で位置を知ることになり、幾何学的な思考となり、自然よりも抽象的思考に重点を置くようになる
西洋哲学の流れについて
整理中(要点:意志を中心とする人間中心主義的な哲学を発展させてきた、それはヨーロッパの二源泉ともいうべきヘブライズムとヘレニズムに由来する。したがって、より自然的なエジプトの巨大な自然哲学に帰るべきであり、3000年のエジプト文明よりも長く続いた1万年の縄文時代に帰るべき)
たぬきち哲学(仮称)
この「人類哲学へ」をうけて「たぬきち哲学(仮称)」は発展し生まれることとなる。
物理学を学び、経済学(むしろ現在の経済システム)を革新したいたぬきちとして、考えていることをたぬきち哲学として整理したい。
物理学的に考えると、自然に帰るなら縄文時代とかそういうのではなくて、もっと根源的なものだと考えている。草木国土悉皆成仏のベースは量子力学(むしろ素粒子むしろプランク定数以下)ではないだろうか。
測定不可能なプランク定数以下の空間に「意志」に関係する何かがあると考える。
そうすると、全ての物は素粒子からできているのであるから、全てのものに意志があると考えることが自然的である。
その意志が空間的にもつれているとすれば、全ては連続体であり、分離して考える西洋哲学(物理学自体も)は無為なものともいえる。
真理がものすごくシンプルとすれば、このような理屈で意志が存在し、仏に成り、草木国土悉皆成仏に至る。
それゆえ、永遠の時間を循環しながら生きていくのではないだろうか。
経済学的視点で考えると、「定量的」に捉えられる物だけを対象とする現在の経済システムは、「連続体としての自然システム」を無視していると考えられる。
そんなものがうまくいくはずもない。
そのなかで「最適解」を求めても、それは自然全体的には「部分最適」なだけで「全体最適」ではないのだから。
つまり定量的な価値だけで最適をおこなうと、定性的価値が無視され、阻害され、低減されることとなる。
したがって、定性的価値を組み込んだ経済システムが必要となるわけであるが、その一例として考えられるのが「里山資本主義」である。
たぬきちはもっと普遍的な新たな経済システムを作りたいのであるが。
今後の課題である。
里山資本主義は日本的価値観であり、草木国土悉皆成仏も日本的価値観である。
しかし、本書を読んで気づいたのであるが、それは日本的価値観なだけではなく、
本質的には全人類にあてはめることのできる価値観なのではないかと思えてきた。
なぜなら、自然から生まれた人間なのであるから、真の自然的哲学である日本的価値観が人間に合致しない理由がなかろうか。
そういった意味で、日本的価値観には「世界を救う」力があると思っている。
今日はこの辺で、また追記していきたいと思う。