優秀さとは何か。
一度は考えたことがあるだろうか。
勉強ができる、頭の回転が早い、不確実な状況でも最適な行動が取れる・・・といった様々な「優秀さ」があるだろう。
今日は「優秀さとは何か」ということについて考えたい。
優秀さとは何か。辞書を見てみよう。
非常にすぐれていること。また、そのさま。(デジタル大辞苑より)
優秀さとは非常に優れていることである。 いまいちピンとこない。
優れているとは何か。
能力・容姿・価値などが他よりまさる。他よりぬきんでる。(デジタル大辞苑より)
これならわかりやすい。
つまり、優秀さとは、何かと比較したとき、それよりも上位であることを意味しているといえる。
すなわち、比較する対象があって初めて意味のあるものとなる。
言葉遊びはこのくらいにして、もっと哲学的に考えたい。
優秀さを考える場合、「何において優秀なのか」ということを考えないと意味が無い。 どのような目的を達成するための能力として優秀なのか?ということだ。
つまり、ある「ものさし」の上で、どちらが優れているかということが優秀さなのである。
勉強における優秀さは、大抵の場合、テストに出てくる問題をどれだけ短い時間でどれだけ多くの正解ができるかということを意味する。 これはわかりやすいだろう。
一方、仕事における優秀さを考えると、仕事の種類や質にもよるが、大抵は、その仕事をどれだけ短い時間でどれだけ質を高く完了できるかということになる。
と、思うだろうか?
こうも考えられる。仕事における優秀さとは、現代世代と永遠に続く将来世代の人類を豊かに幸せにできるかということである。と。 これは抽象的すぎるという人もいるかもしれない。 しかし、今の仕事がこの優秀さに合致していないとしたら、つまり、全人類の持続可能な豊かさと幸せに寄与しないとしたら、その仕事をどれだけ効率よく行ったとして、果たして優秀であるといえるだろうか?
これは「仕事」の捉え方の違いでもある。 仕事を「目の前の問題を解決すること」と捉えると、前者の優秀さに近くなる。 一方、仕事を「社会に貢献すること」と捉えると、後者の優秀さに近くなる。 もちろん明確に区別などできないし、社会の問題を解決することは社会に貢献することにつながるだろう。
けれども、本当にその仕事が、長期的視点で、世界的視野で、意味のあることなのか、ということを考えて、自分なりの答えを出したり、修正したりしていくことが、本当の意味での優秀さではないかとちきぬたは考える。
もちろん答えなどない。
しかし、優秀さというのは、「比較」という視点で、誰かと比較したり、自分自身と比較したりして、とある特定の目的を達成する場合においてのみの評価であるということは事実である。
少し視点を変えれば、ある意味では優秀であっても、別の意味では全く優秀でないと誰に対しても誰でもいえるのだ。
そんな不明瞭なことを気にせず、自分が信じる理想に向かって、自分なりの優秀さを突き詰めていくことが重要なのだ。
ということをちきぬたは言いたかっただけである。
誰かが勝手に、その人の基準で決めた優秀さで評価されたとしても、そんなものは気にせず、自分なりの優秀さを信じて突き進んでほしい。
ほらあなより愛をこめて たぬきち
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